当山の開創は遠く室町時代に遡ります。当時は「大日堂盛行庵」と称する醍醐三宝院の流派に属する真言宗寺院でした。
寛永15年(1638年)11月3日、当地の代官澤井家の縁を引く喜見院日便上人が、その出身地岡村に洛中の名刹曇華院宮や、三宝院門跡から寺領の分与を受け、六条本國寺第17世・鷲峰院日桓大僧正直筆の御本尊を頂き改宗、日蓮宗法華寺を建立されました。後の寛政11年(1799年)の鐘楼堂再建の棟札には、曇華院宮・三宝院宮・旗本天野氏・澤井氏はじめ、村内外の氏名が連なっております。
明治維新の鳥羽伏見の戦い(蛤御門の変)の際には、曇華院宮が澤井家に避難され、当山に宮方の霊牌を安置して日々供養され、曇華院宮仮菩提所としてその所領を下賜されました。しかし大戦中の弱体化や農地解放に伴い、縮小を余儀なくされます。
戦後入寺した37世功徳院日薩上人は、平成3年(1991年)開山日便上人第350遠忌を迎え、見事に本堂庫裡の再建を成就、中興と仰いでおります。後を継いだ38世開聞院日梵上人は、境内寺観をますます整備するとともに、京田辺市を中心に宇治市、久御山町、城陽市、八幡市、精華町、木津川市、枚方市、交野市と付近に教線を拡大いたしました。また、青年信行組織「京田辺市法華寺菩薩団」を結成し、宗教活動のみならず地域社会に貢献すべく活動を展開しています。